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歴史館 > 資料室「日本の食品衛生の歴史(昭和20年〜30年代(1945年〜1964年))」

日本の食品衛生の歴史

〜昭和30年代(〜1964年)

昭和40年〜60年代(1965年〜1988年)平成元年(1989年)〜現在
昭和11年(1936年)5月大福もちによるサルモネラ食中毒事件
静岡県で運動会終了後に提供された大福もち(約63,000個)により、2,000人以上がサルモネラ食中毒となり、そのうち44人が死亡した。
昭和22年(1947年)12月 食品衛生法制定公布
当時の日本は戦後の大変な食料不足で、衛生水準がとても低い状態であったこともあり、「飲食が原因の食中毒などを防止し、国民の生活の衛生状態を良くする」ことを目的に公布された。
昭和23年(1948年)7月 食品衛生法施行規則制定公布
昭和23年(1948年)12月 輸入雑豆による中毒事件
兵庫県尼崎市、伊丹市、神戸市、芦屋市で配給されたビルマ産雑豆(サルタニ豆)により31人発症、うち4人死亡。豆から青酸を検出した。
昭和26年(1951年)5月 本邦初のボツリヌスE型菌による食中毒事件
北海道で自家製の鰊(にしん)のいずしにより主婦が食中毒となり死亡。客6人もこの「いずし」を食べ、3人死亡。北海道衛生研究所の調査で、ボツリヌス食中毒と判明。
昭和26年(1951年)8月 輸出入食品検査を開始
昭和27年(1952年)1月 輸入米による黄変米事件
輸入ビルマ(現ミャンマー)米5,000トンのうち約3分の1が毒性を持つ黄変米であった。厚生省(現厚生労働省)が米の移動禁止措置を実施。タイ、トルコ米からも黄変米発見。
昭和28年(1953年)8月 食品衛生法施工令制定公布
昭和29年(1954年)3月 ビキニ環礁水爆実験によるいわゆる「原爆マグロ」事件
米国のビキニ環礁水爆実験により、わが国のマグロ漁船第5福竜丸が被爆。乗組員全員が被爆し、積荷のマグロも放射能汚染を受けた。この船を含めビキニ環礁海域付近で操業および航行していた漁船のマグロ等を船籍を有する県と国が協力し放射能汚染の調査を行った。
昭和30年(1955年)3月 脱脂粉乳によるブドウ球菌食中毒事件
東京都内の学校給食で脱脂粉乳を飲んだ小学生1,219人が食中毒を発症。原因は、原乳の殺菌不十分による溶血性ブドウ状球菌の増殖。
昭和30年(1955年)6月〜8月 調製粉乳中毒事件
岡山県内の病院に原因不明で入院、死亡した乳児が飲んでいた調製粉乳から微量のヒ素が検出された。原因は調製粉乳製造過程で使用した第2リン酸ソーダ中に多量のヒ素が含まれていたことによる。
昭和31年(1956年)5月 水俣病発生報告
熊本県水俣沿岸漁民の間に全身痙攣などを伴う原因不明の患者がいることが判明。
工場廃水に含まれるメチル水銀が魚介類を汚染し、知らない間にその魚を食べた人達がメチル水銀中毒になった公害病。
昭和39年(1964年)7月〜9月 即席めん類による集団食中毒事件
大阪、京都、岐阜、静岡、長野で即席めんによる食中毒が多発。即席めんの流通過程でおこった、取扱いの不備による油脂の酸敗が原因。
昭和40年〜60年代(1965年〜1988年)
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